大河小学校の概要


学 校 の 概 要


校   名

所 在 地




校 地 面 積

児 童 数

学 級 数

職 員 数

校  長

教  頭

育友会会長
広島市立大河小学校

〒734−0036
 広島市南区旭一丁目8番1号
TEL(082)253−4116
FAX(082)254−9385

12,277平方メートル

477名

18学級

36名

今井 邦夫

川口 孝之

吉弘 学


沿  革

(1)沿革の概要

 学制実施(明治5年)の翌6年、当時の仁保島村大河本町に民家を借りて「一貫舎」と称し、寺小屋式の教育が始められた。これが大河小学校の前身である。 明治17年5月2日、大河山根の黄幡神社あたりに2階建ての木造校舎が完成。「大河簡易小学校」となり、日宇那・丹那・向宇品の三つの分教場をもった。これをもって本校の創立としている。
 明治37年4月より昭和5年3月までの26年間、「広島県師範学校代用附属小学校」となり、教育の実践研究に多くの業績を残している。
 昭和7年、現在の校地に木造新校舎が落成した。  戦況が厳しくなった昭和19年、上空を呉市への爆撃機が飛び交い始めると、運動場はサツマイモ畑と化し、校庭にはいくつかの防空壕が設けられた。
 昭和20年8月6日の原爆による消失はまぬがれたものの破損甚大であった。校舎は被爆直後から被爆者の救護所となり、各教室、運動場などには多数の負傷者がつめかけ看護を受けた。それと同時に学区では町民あげて校舎の復興に力を注いだ。
昭和22年、学制改革により「広島市立大河小学校」となる。 昭和39年より49年まで、毎年校舎建設が続き、現在の鉄筋校舎が完成した。児童の増加により、昭和52年4月1日「広島市立黄金山小学校」が開校となり、一部学区が分離した。
 平成16年には、創立百二十周年を迎え現在に至っている。


(2)地域の概要

 本校のある南区は、市の南、広島湾に面し、自動車・造船などの臨海工業地域となっている。
 古くから、海苔・牡蛎の養殖が盛んに行われてきた。また、戦時中は宇品港や多くの軍需工場があったこともあって、現代史の上で広島市に大いに影響を及ぼした地域である。
 学区には北に国道2号線が東西に走り、南には校歌にも歌われている黄金山がある。
 広島大学医学部・比治山女子学園・進徳学園・広島県県立工業高等学校・広島県立皆実高等学校などが隣接し、文教地域である。また、黄金山山麓から学校の周りは静かな住宅地域となっている。
 昭和40年ごろより国道沿いに住宅の建設が急速に進み、現在では校地の周りには田畑は全く見られず、新開地の面影はなくなった。
 本学区は、霞町・出汐町・旭町・山城町・大河町・段原南町の一部からなっている。地域の学校教育に対する期待は大きく、協力的で、育友会(PTA)活動も活発である。


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